なぜ気功を学ぶのか

さて、【気功とは】のページでは、
改まって気功に取り組まなくても、日常の中に気功は溢れ、
気功とはすでに生物が行っているということだという考えを紹介しました。

では、気功を習ったり、練習したり、学ぶ必要はどこにあるのでしょうか?

結論から言ってしまうと、
気功とは学びたい人が、学びたい時に、学びたいだけ学べば良い
というのがVirtuous Cycleの考え方です。

私は、気功を学ぶ必要性についてはマラソンを練習する必要性に似ていると思います。
私たち人間は特に習わなくても成長すると走れるようになります。
しかし、ただ気ままに走り回っているだけでは、
マラソンランナーや短距離走の選手の様な
素晴らしいパフォーマンスを生み出すことはできません。
人間が生得的に出来る、「走る」という能力をさらに研ぎ澄ませていくことによって、
「走る」という行為のパフォーマンスをさらに高めることができるのです。
しかし、「走る」能力を研ぎ澄ませなくても
生活に支障もなければ生きていくこともできます。
ただ出来たら出来たで、ちょっと便利だったり、楽しかったりして生活の質が上がるかもしれません。

このことを気功で置き換えてみるとどうなるでしょうか。
上文の「走る」という言葉を「気功」という言葉に変えてみましょう。

すると以下の様になります。

人間が生得的に出来る、「気功」という能力をさらに研ぎ澄ませていくことによって、
「気功」という行為のパフォーマンスをさらに高めることができるのです。
しかし、「気功」の能力を研ぎ澄ませなくても
生活に支障もなければ生きていくこともできます。
ただ出来たら出来たで、ちょっと便利だったり、楽しかったりして生活の質が上がるかもしれません。

つまり、誰でも無意識に行っている気功をわざわざ学ばなくても、
生きていくこともできれば不便を感じることもないでしょう。
しかし、もし「気功」の能力をあえて研ぎ澄ませて磨いていくと、ちょっと便利だったり、
毎日の日々の中でも様々な発見があったり、新たな視点を手にいれたりすることも事実です。
実際、私自身は「気功」に意識して取り組むことで様々な発見や成長がありました。

また、「気功」をあえて練習するということは、
無意識に行っていた情報やエネルギーの交換や循環を意識的に行うことになります。
この”意識的に”というのが大切で、無意識に行っていることも、
意識にあげることで自分の意思でコントロールしたりすることができます。
これは先ほどのマラソンの例で言うと、
漠然と捉えていたフォームや呼吸の長さを意識して
それをコントロールしていく過程と似ているのではないでしょうか。
試しに、今呼吸に意識を向けてみて下さい。
さっきまでこの記事を読んでいる間に無意識に行っていた呼吸の長さも、
一度呼吸を意識した今となっては自由にコントロール出来ることに気が付くと思います。

さて、回りくどい説明になってしまいましたが、ここまでの説明をまとめると以下の通りです。
(以下はあくまでVirtuous Cycleがお勧めする「気功」に対するスタンスです)

・「気功」は日常に溢れ、みんな無意識にやっていること
・意識して「気功」の技術を磨きたければ磨けば良いし、磨かなくても全然困らない
・「気功」の技術を磨いたら磨いたで色々発見があったり、たまに便利だったりする
・「気功」の技術を磨くことは、人生という限られた時間を楽しむための一つの選択肢に過ぎない

ここまで読んで頂いた方の中には、「気功」の定義が繰り返されて、
少しくどく感じた方もいらっしゃると思います。
長くなってしまって申し訳ありません。

しかし、この出発点はとても大切です。
なぜなら、「気功」の練習を重ねるほど、ついつい枝葉末節に意識をとらわれて
本質を見失ってしまうことが少なくないからです。

ここでいう本質とは、上記にもありますが、
“気功とは人生という限られた時間を楽しむための一つの選択肢”
であり、気功のせいで人生が辛くなってしまっては本末転倒だということなのです。
嫌になったり疲れたら意欲が沸くまで中断しても良い(した方が良い)のです。

「気功」の学習や練習は決して強制されるものではなく、
自発的に取り組みたい時に取り組むものだとVirtuous Cycleは考えます。

このことを心に留め、次の【Virtuous Cycleの気功】のページでは
Virtuous Cycleが専門とする気功の活用法について具体的にご紹介していきます。

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